2009年11月16日月曜日

現代に手書きは不要か

 左文字(鏡文字)といっても、現代では手書きそのものの必要性が少なくなってきたので、わざわざ取り上げる価値はあるのか、との声があります。

 たしかに、現状では、ジャーナリスト、官僚、学者、研究者、作家、ライターなど、文書作成や著述を職業にする人は、手書きをしないで、パソコン書きをする場合が多くなっている。パソコンの便利さ、効率を考えたなら合理性があり、手書きはますます影が薄くなる傾向にあるようだ。

 しかし、便利さ故に、社会生活ではますますパソコンの使用頻度が高くなり、その結果、いわゆるITボケとか、ゲーム脳といった現象が一般的に指摘されるようになった。記憶力の低下、思考力の低下など、脳の機能の低下が見られるようになったのだ。とかく便利なもの、魅力のあるものは、多用され、濫用されがちなので、当然の結果とも言える。

 いわば、パソコン書きという負荷の小さい活動しかしない筋肉が、あまりその楽な状態に慣れて萎縮してしまい、本来の力を失ってしまう状態になるようなものだ。一例をいえば現代文学に傑作が出なくなったのも、作家が手書きをやめたからだという専門家の指摘もある。

 これは右人間であろうと、左人間であろうと変わりない。右手書きしようが、左手書きしようが、全く同じことだ。手書きの動きは、パソコン書きと比べて、脳を広範囲に活動させることが知られている。その分、脳をよく活動させることになる。したがって、手書きの意義は、パソコン万能の時代にこそ、むしろ重要になってくるだろう。

 また今でも、日記やノート、メモは、普通は手書きで行われている。仕事やビジネスなどの場面でもそうだろう。むしろ仕事のような真剣勝負の場面こそ、利き腕を使った、つまり自分の脳をフル回転させた書字の行為が望ましいはずだ。それなら左人間には左文字がふさわしいことになる。

 左文字をあえて書く提案は、現代では意味がないどころか、ますますその価値はあると思われる。

2009年11月11日水曜日

習字と書道について

  小中学校で習う習字についてですが、左利きの生徒が、右手で右文字(普通の文字)を書くのは困難です。かれらが普段どちらの手を使っていてもつらいものです。彼らには、左手で左文字(鏡文字)を書くことを承認すべきと思います。習字はただ文字を憶えるだけでなく、書道に通じているはずですから、習字の学習目的からみても当然のことだと思います。

  書道は書いた文字の結果を求めるものではなく、書く過程、運動を求めるものです。単に書いた結果の文字を求めて、左手で、いかに右手で書いたかのように見せるイミテーションを求めても意味がないからです。習字の目的が、イミテーション作りでいいはずはないと思います。

  スポーツ行為と同様に、左人間は、利き手の左手で、呼吸を整えながら、全身を使って書くのが書道なので、学校は書いた結果の左文字(鏡文字)を認めるべきだと思います。でないと、左人間は、不自然な書く動作を強いられるわけで、習字ないし書道を好きになれず、文字を書く楽しみを奪われてしまうでしょう。

  現状では、習字の時間を密かに嫌がっている左利きの生徒が、少なからずいるのではないかと想像します。

2009年11月8日日曜日

左文字をだれが、どう活用していくか

  左文字(いわゆる鏡文字)をだれがどう活用したらよいのか、ということを書いてみたいと思います。

  すでに、右文字(普通の文字)を書く習慣のある左人間は、左文字を使うことに関心があれば、それなりの学習をして、左文字を書く能力を身につけるのがよいはずです。どちらの文字も使えるバイリンガルになれば、ダ・ヴィンチのように脳を十分活用できる言語生活が出来ることになります。

  では、今学習している小学生や、中学生はどうなるかと言えば、まずは、右文字を学習した方がよいと思います。社会の9割は右文字を使うので、それが理解できることは重要です。それから、大人と同様に関心があれば、左文字も学習したらと思います。すくなくとも、左文字という方法が選択肢としてあることは、認識した方がよい。すぐに学習に取りかからなくても、将来時間のあるときにできるという選択肢は大切です。本人の言語生活をどう豊かにするかということです。

  左人間は、大人も子供も、左右の文字が使えるバイリンガルになったほうがよいと思います。ただ現在の社会は、日常生活全般にわたって、右システムの支配する右社会です。左人間にとって、いろいろな条件が悪くて、なかなか学習が難しいですから、その点は検討する必要があります。

2009年11月5日木曜日

矯正に関する専門家の意見について

 書字の矯正について、教育心理学や精神科医などの専門家の本を何冊か読んで、気になることを書きます。

 共通していることは、無理な矯正はしないほうがよいということですが、一例として、いまは簡便にウィキペディアを引用します。

 『日本においても未だに強制的な利き手の「矯正」のもたらす悪影響が認知されていないことと、左利きに対する偏見を持つ者がいまだ多いため、強引な変更が行われることがある。

 さらに悪いケースでは、無理な矯正のストレスが原因で吃音になってしまっても、その原因が無理な矯正にあることを理解できずに、吃音への偏見を嫌がってさらに根性論を振りかざして子供の吃音を矯正しようとする親も存在し、いたずらに症状を悪化させ、子供を苦しめることもある。

 一部には我が子をクリエイティブな能力のある子供に育てようと、右利きの子供を左利きにしようとする変更の例もあるが、同様に悪影響があるため全く薦められない。』(「左利き」項より)

 この引用にあるように、まだ一般社会に左利きに対する偏見があるので、この知見は価値あるものだと思います。他の意見も、矯正は全くだめとか、3才ぐらいまでならよいとか、多少の違いはありますが、無理をしないことは共通しています。


 ここまではよいのですが、私の考えでは、この先が全く抜けているのが残念です。

 左利きの子を矯正しない、という正しい道の入口まで導いたのはよいが、その入口が問題です。なぜなら、そこには、漢字システムという完全な右システムが待っているからです。

 これでは大きな片手落ちになるのではないだろうか。漢字システムは、専門外だというならそうかも知れない。しかし、それでは研究対象の子どもたちに対して、不親切で不十分と言わざるを得ない。だれのための教育心理学か精神医学かと疑問が浮かんくる。

 子どもが(大人もそうですが)、わざわざ手をくねらせて字を書くような姿勢はよくない、これは社会問題だ、という感覚が必要ではないでしょうか。

 矯正の問題は、右システムに苦しむ左利きの人間のためにあるといえる。それなら、右システムの漢字システムまで切り込んで、検討すべきだと思います。そこで、左文字(鏡文字)を真剣に検討すべきだと思います。

2009年11月4日水曜日

左文字は、誰に向いているか

 左文字は誰に向くのだろうか、ということについて考えてみたい。

 結論を先に言えば、すべての左利きの人に向いていて、右文字も、左文字(鏡文字)も、書けたらよいと思います。つまり、左人間は両方の文字を書けるバイリンガルになるのがよいと言えます。そうなると、余計な一手間というか、学習の大変さがありますが、その分喜びもあるといえます。右文字は社会用、左文字は自分用です。

 ただ、そうは言っても、左人間は現状で、とりあえず右文字を書いているので用は足りているはずです。そこで、向いている人ですが、現状に違和感、窮屈さ、不快感を感じている人です。必要度が高い人に有効です。

 もう一つ、ある程度時間の余裕のある人です。単に、鏡文字を書けるレベルでなく、実用レベルになるには少しずつの練習で1、2年はかかる。この程度の時間を見ておく必要があります。ただ、いったんマスターしたら、言葉と心地よい付き合いが出来るので、左文字は一生の宝になると思います。

 忙しい人に向いていないか、というとそうでもないと思います。ビジネスのように、真剣な場面こそ、自分の利き手で文字を自然に書ける方が、脳を十分活用できるので勝負が出来ると思います。もっとも、練習する時間がないと難しいかも知れませんが。

 もし右利きの人が、左手で左文字を練習した場合は、いわゆる脳力開発になると思います。普段使っていない脳や手を使うので、いい刺激になります。求めるレベルは、左文字を書けるだけでもよいかも知れませんが、やはり、日記を書くなどの実用レベルまでやれば、さらに脳の刺激になると思います。もう一つ有効なのは、左文字を筆で書く練習です。習字や書道のレベルです。筆で一文字一文字を左文字で書くことは、脳に深い刺激を受け、密度の濃い時間を持てると思われます。

2009年11月1日日曜日

左利きの脳科学について

 脳科学は左利きをどう見ているのか、関連することを私の知る範囲でまとめてみます。この分野の書籍はかなりありますが、私の読んだのはそのごく一部です。

1 左利きと右利きでは、関与する脳の半球が異なり、左利きは右脳、右利きは左脳に関連する。

2 右脳は、簡単に言うと、イメージ能力で総合的な認識機能になり、右脳は、論理能力で分析的な認識機能になる。ただ、機能が左右の脳に局在することだけですべての脳の活動を説明できず、欠けた機能を反対の脳が代償的に働くこともある。

3 左利きと右利きでは、脳の働きはどうなるかということでは、『脳の探検』(ブルーム著、講談社、1987年)に、「和田テスト」という実験が紹介されていました。

 被験者に発話をしてもらって、そのときに、左脳と右脳を順番に麻痺させて機能させないと、発話にどう影響するかというものです。

 そこで、複数の被験者で実験を繰り返した結果、右利きの95%は、左脳で発話と言語をコントロールしていて、5%が発話は右脳でコントロールされていることが分かった。

 左利きの場合、70%が、右利きと同じ様に、左脳で言語がコントロールされ、15%が右脳で発話していて、15%は両方の脳が発話をコントロールしている。


 興味深い結果ですが、この実験から、左利きの人間はどう受け止めたらよいのか。左人間の30%(ウィキペディアは30~50%)は、発話のとき右脳を使っていることになります。右脳は左手が関与しているところです。

 しかし、われわれのように、左文字を検討する場合、この分類はどこまで意味があるのか分からないところがある。左人間は、矯正されない限り、左手を使いたいので、この点では右脳と関係しますが、書字行為は、言語に関する脳の部位のちがいだけでは説明できないと思われます。

 脳科学は、私の読んだ範囲では、まだまだ発展途上の科学で、これから解明されなければならないことが多い、とのことです。左利きの脳科学についても同様ではないかと思われます。


 左人間が文字を書く場合、普通は右手でも、左手でも、右文字を書きますが、そのことは脳に負担を与えないか、と疑問を持ちます。永い訓練で、特に違和感のない人が多いかもしれませんが、それでも完全な満足感はないのではと思われます。

 脳科学的にみて、左利きが使うには、左文字と右文字(普通の文字)のどちらがよいかを考える場合、言語機能だけでなく、脳の運動をコントロールする機能について見てみる必要がある。 私の調べが不足しているところですが、右文字を書く場合と、左文字を書く場合で、脳にどんな変化があるのか知りたい。書字行為の本質を理解したいのです。

参考資料 文献目録

とりあえずこれまでの関連文献を上げておきます。

◎日本語・漢字表記

『日本語の歴史』 山口仲美 岩波新書 2006

『日本語はどう変わるか--語彙と文字』 樺島忠夫 岩波新書 2003

『横書き登場--日本語表記の近代』 屋名池誠 岩波新書 1981 


◎書道

石川九楊『書の風景』筑摩書房、1983年

石川九楊『書と文字は面白い』新潮社、1993

滝尻祥風『いま言わねば 祥風独語抄』新日本教育書道院、1991

禰津和彦『書道心理学入門』図書出版、1989


◎漢字の歴史

黄文雄『日本語と漢字文明』  ワック株式会社、2008

白川静『文字講座Ⅳ』平凡社・2005 

石川九楊『漢字がつくった東アジア』築摩書房・2007 

大原信一『新・漢字のうつりかわり』東方書店・1989 

水上静夫『漢字文化の源流を探る』太修館書店・1997 

阿辻哲次『漢字學』東海大学出版会・1985

白川静『文字講話Ⅳ(第二十話漢字の将来)』平凡社、2005

石川九楊『漢字がつくった東アジア』

阿部哲次『漢字學ーー説文解字の世界』東海大学出版会1985

『中国の漢字問題』蘇培成他編、阿辻哲次他編訳 大修館書店1999

エツコ・オバタ・ライマン『日本人の作った漢字』南雲堂1990


◎左利きの脳科学

フロイド・E・ブルーム『脳の探検』講談社、1987

坂野登『かくれた左利きと右脳』青木書店、1982

角田忠信『右脳と左脳-その機能と文化の異質性』小学館(680円) 昭和56年初版

平出隆『左手日記例言』白水社(2800円) 1994年2刷

八田武志(名古屋大学教授)『左ききの神経心理学』医歯薬出版株式会社(3400円) 1996年初版 

西山賢一『左右学への招待 --自然・生命・文化』風濤社(1600円) 1995年第1刷

『言語と脳』L.K.オブラー、K.ジュァロー、若林茂則監訳、新曜社、2002年

『見る脳・描く脳』岩田誠、東京大学出版会、1997年

R.L.モンタルチーニ『老後も進化する脳』朝日新聞出版、2009年

◎左利きと社会


◎レオナルド・ダ・ヴインチ

高草茂『「モナリザ」は聖母マリア』ランダムハウス講談社、2007

イタロ・カルヴィーノ『カルヴィーノの文学講義』朝日新聞社、1999