2009年10月11日日曜日

このブログの目標は

 左利きのレオナルド・ダ・ヴインチは、左文字を使って脳のフル活動させ、万能の天才になった。同じように左利きの人間は、左文字を使うことによって、天才といわずとも、自らの天分を拓くことに大いに役に立つと思われる。

 ところが、我々日本人が左文字を書く場合、大きな問題がある。それは我々の使っている文字は、漢字という表意文字で、語数がかなり多い。ダ・ヴィンチの場合、ローマ字の大文字、小文字で52字だけです。実際にやってみれば分かりますが、ちょっと練習すれば、左利きならだれでもこのくらいの左文字ならすぐに書けるようになる。ダ・ヴィンチが左文字をやすやすと書けるのは、まったく当たり前のことなのです。(だたし、字を書けることと語を書けることは違います)

 しかし、我々の場合、ひらがな、カタカナ、常用漢字、人名漢字だけでも約3000字ある。その他にも必要な漢字はある。いわゆる漢字検定などでも、第二水準の6000字ぐらいを対象にしているようだ。ここでは一応3000字を目標にするにしても、実際に書けるようになるにはある程度の練習が必要になる。

 この左文字を使えるようになるには、持続的な努力が必要になるので、しっかりした目的や意欲、学習の方法論といったものが求められてくる。

 そこで、このブログの目標は、左利きの人間が左文字(いわゆる鏡文字)を使う価値を明らかにし、その学習の仕方を工夫し、社会の中で左文字が普及するための条件を考えたい。そのために具体的には次のようなことを目標にします。

1 左利きであることはどんなことなのか、現代の脳の研究を訪ねて、左利きの特徴などを調べる。そして、左利きであることの特徴を理解し、左手で文字を書くことに確信を持てるようにする。

2 漢字の特徴や歴史、現在までの変化を明らかにして、その特徴を理解する。そして、左文字が成り立つ条件を検討する。

3 左利きの人間と、社会との関係について考える。

4 左文字の学習の仕方を考える。


  ところで、左利きの人間は社会の中にどのくらいいるだろうか。わたしがいくつか見た統計では、数字に幅があるが、大体1割といってよいらしい。これは、日本でも海外でも同じぐらいのようだ。そこで、ここでも左人間は人口の1割で、右人間は9割という数字を使っていきたい。

 すると日本では左人間は1200万人いることになる。決して少ない数字ではない。むしろかなり多数といえるだろう。東京都の人口と同じくらいになる。

 左人間が、生活していて不便なのは、文字だけでなく、生活全般にわたっている。それを日々何とかストレスを感じながらも、やり過ごしているのが現状だと思う。

 書字行為も、わたし自身は右手を使って書くが、書きながらいつも違和感を感じている。なにかいつも隔靴掻痒の気分が続いている。書いている内容に半透明のスクリーン一つ隔てられているようで、実感を持てない。それがいつも悩みだった。

 左利きで、左手で書く人は身障者のように腕をくねらせて窮屈な姿勢で書いている。わたしにはこの動作はほぼ虐待に見える。本人が本当に望んだものでなく、社会的に強いられているからだ。見ている周囲の右人間も何か不自然な窮屈な感じがするようだ。

 左人間が、左手で書こうが、右手で書こうが、右文字を書いている限りは、この違和感から解放されない。もっとも左人間はみんな、あまり気にしてないようだが。生活の必要に迫られ、進んで適応して、やむを得ないことなのだろう。 

 でも、あまり社会的な抑圧が強すぎて、左人間は自分の気持ちを外部に現せないのではないかとも思います。

 話は飛躍しますが、アメリカ大統領のオバマさんが、マスメディアの人々の前で始めて大統領令にサインするとき、例の左利きの人特有の腕をくねらせた窮屈な姿勢でペンを構えたときに、記者たちの視線を感じて、オバマさんは「私は左利きです。みなさん、慣れてください。」といっているのをテレビで見ました。

 私は残念に思いました。アメリカでも、右文字の呪縛は強いようです。