2009年10月10日土曜日

レオナルド・ダ・ヴィンチから考える


 イタリア・ルネッサンスの天才、レオナルド・ダ・ヴィンチが万能の才を発揮したことは、人々に広く知られていますが、生涯に一万枚以上の研究ノートを書き、そのほとんどを左手で、しかも左文字(いわゆる鏡文字)を書いたことはあまり記憶されていません。(右写真はノートの一枚です。二枚目の拡大図では、行の右側は揃っているのに、左側が不揃いです。ダヴィンチが左文字を書いているのがわかります。※注)

 左文字は一見暗号のようにも見えるので、なぜそんなことをしたのか、ということに、研究者の憶測がいくつかありますが、要はダ・ヴィンチが左利きだったからというのが妥当なところだと思います。


 そこで思うのですが、もしダ・ヴィンチが右手に矯正されていたら、あるいは、左手を使っても、普通に書かれる文字(私はこれを右文字といいます)を書いていたら、おそらくダ・ヴィンチはあれほどの天才を拓けなかったのではないでしょうか。なぜなら、実際にやってみれば分かりますが、左利きの人間は、左手を使っても、右手を使っても、右文字を書くのはかなりのストレスになります。どんなに慣れても、違和感は消えないからです。

 自然を探求したダ・ヴィンチが、こんな不自然なストレスと闘いながら、天才になれたでしょうか。人体の構造をあれほど深く研究したダ・ヴィンチが、わざわざ自然に反した腕の動きをしなければならない右文字を書くことは、考えにくいことです。 

 ダ・ヴィンチが天才になったのは、左文字を使ったからこそではないか。つまり、ダ・ヴィンチ自身にとって一番やりやすいやり方をして、脳をフル回転させたからだと思います。左利きにとって、左文字こそ、脳を一番よく使う方法なのです。

 ですから、左利きの人は、ダ・ヴィンチのように、反転した文字を書くのがよいのではないでしょうか。ダ・ヴィンチの天才と比較する必要はないのですが、左利きの人は、一人一人が自分に与えられた天分を最大限に拓くには、この左文字を使うのが正しいと思います。

※注 写真の出典は、高草茂『モナリザは聖母マリア』ランダムハウス講談社、2007年