2009年10月25日日曜日

なぜ左文字がよいか③


 では、実際に文字を書くときの手の動きを調べてみると、右図のようになる。これは基本動作を示したものだ。

 図は人体を頭上から見た平面図だ。図にある手の位置は、自然な姿勢のときの基本位置(ホームポジション)になる。
 腕の位置は、肩から前にまっすぐ伸び、やや身体の内側に傾いている。

 手の周りの丸い範囲は手が動く範囲になり、矢印は手の動く方向になる。

 字を書くときに、手が伸びては、基本位置に戻ってくるのが、自然な動きになる。ちょうど、パソコンのキーボードで、指がホームポジションから出ては、戻ってきて、次の動きに入るのと同じ理屈になる。

 書字の場合、ホームポジションに戻るため、押して遠ざかる動作よりも、引いて近づく動作のほうが、線のコントロールがしやすい。そこで、引く動作のときに、強い線になり、押す動作のときは、いわば返しのように、弱い線になるか、線を引かない状態になる。

 黒い矢印は、左右の手が同じように動き、赤い矢印は反対に動くことを示している。

 下の図は、左右の手の筆致(ストローク)を取り出して示している。①、③、④は同じだが、②の横線と、⑤の下からの斜め線が左右の手では反対になる。実際の漢字の筆致は曲線もあり、もっと複雑だが、この基本の動きのバリュエーションと見なすことができる。

 左利きの人が字を書いているのを、傍で見ていて不自然に見えるのは、②と⑤の動きのときに、手の動きが反対になるからだろう。

 この図で示されたものが、右手と左手の自然な動きになる。このことが、第一に重要なことだ。身体の自然な動きが保たれることが、どんな社会システムより先に重視されなければならない。


 そこで、漢字を書く場合に戻ると、すべての漢字の字形は、上の図の右手の筆致と基本的に一致している。右手を使って書くように出来上がっているので、漢字は右システムといえるだろう。

 たとえば、日、月、土は、タテ線と、ヨコ線でできている。火、水、木、金は、タテ線と斜め線とヨコ線でできている。これらは左右対称に近いが、やはり右手の動きが基本の筆致になっている。

 水と、求の違いは、求は右手でしか描けない斜め線がある。⑤の線である。男や女や友は、右手でしか書けない斜め線の筆致がある。サンズイや、ニンベンなどの斜め線も右手でないと不自然な線になる。シンニュウやコロモヘンも、右手でしか正確には書けない。上の図の左手の筆致ではない線だから。月の、ハライやハネも右手のためにある。

 すべての漢字も、ひらがなも、カタカナも、右手で書くように筆致が出来上がっている。

 

 これを、左手で書く場合、そのまま書くことになると、本来左手では出来ない動きをしなければならない。筆順などという細かい決まりもある。ここに、左利きの人間は、大きな無理とストレスを感じざるを得ない。このことは過小評価すべきでなく、人によっては、ストレスから学習障害になったり、自閉症になったりするのではないだろうか。

 たとえ、病的にまで至らなくても、左利きの人間は、不快感やストレスを感じて、字を書くことに楽しみや喜びを見出せず、文章を書くことから遠ざかってしまったら、これは、さらに大きな問題になると言わざるを得ない。

 もし、左利きの人が、左文字を書いたなら、これは、右利きの人が、普通に字(右文字)を書くのとまったく同じ状態になり、何の問題を起こらない。

 むしろ、漢字システムが長い間培ってきた、右システムのすばらしさを、左利きの人はそのまま享受できることになる。だから、左人間は、左文字を使用すべきだと思う。

2009年10月17日土曜日

なぜ左文字がよいか②

 前回の内容をもう一度繰り返します。

 右利きは右腕を使い、左利きは左腕を使う、という基本的な条件が一番重要です。これは、右利きは左脳、左利きは右脳の機能の関係の重要さと同じだと思います。

 そして、右腕と左腕は、可動域と可動方向が違います。つまり、左右は違うようにしか動かないし、動けない。対照的にしか動けない。それが身体の自然だからです。

 スポーツで見ると、たとえば、野球は、球を捕るとき、右利きは右利き用のグローブを使うし、左利きは左利き用のグローブを使うので何も不都合がない。システムが左右の違いを吸収できている。

 ところが、書字行為は、右利きは問題ないとしても、左利きでも右用のグローブを使うしかない状態になる。なぜなら左用のグローブがないから。これでは十分な捕球動作が出来ない。

 問題は、書字行為に使う漢字システムは、右用のグローブしかないことです。漢字という社会システムは、歴史的に形成されてきた完全な右システムです。左システムを受け入れる余地はないのです。左人間は、漢字システムを使う限り、たとえどれだけ慣れたとしても、不自然であり、いわば代償行為にしかならない。

 書字行為において、代償行為である限り、どんなに努力したとしても、100点満点で言えば、60点、70点のぎりぎりの合格点しかとれないでしょう。右利きであれば、満点近い点もとれるのに、左利きははじめから制約を受けているわけです。

 オーバーな言い方をすれば、健常者と障害者が同じルールでマラソンをするようなものです。両者がともにベストのパフォーマンスをしたとき、障害者はいつも不利です。これは明らかに不合理になる。

 ですから、左人間は、左文字を使うのが正しいのです。

2009年10月14日水曜日

なぜ左文字がよいか①

文字を書く行為はどんなことか。

 それは、右手なり、左手なり使うが、腕全体を使うし、反対の腕も無意識にも補助的に使われ、さらに両肩、首、腰、両足も、書くときの腕の動きに合わせて、姿勢を保つために使うことになる。そして当然司令塔として脳を使う。つまり、全身を使う。ただし、右手を使う場合と、左手を使う場合とでは、動きは反対になる。

 これは、スポーツの行為と全く同じことになる。たとえば、野球なら、ピッチャーが球を投げる時に全身をしならせて投げる。投げる腕だけ動くわけではない。サッカーでも、走ったり、蹴ったりするときに、全身が動いている。もちろん脳を使うし、身体の全部分を使っている。

 この場合、誰でも、主に利き手や、利き足を使う。それは利き脳を使うことであり、最高の力を出すために、当然だ。もし、利き手や、利き足でないほうを使ったら、最高のパフォーマンスを引き出すことはできない。もちろん、練習によって利き手、利き足でないほうも使えるだろうけれど、それでもかなり違うはずだ。

 野球やサッカーは、左利きだからといって何の支障もない。テニスや、バドミントンなどの場合も、ラケットを左右に持ち替えるだけで、とくに不利はない。

 文字を書く行為も同じ全身運動なので、利き手によって左右反対の動きをするのがよい。つまり、右利きの人間は、右文字(現状の文字を指す)を使い、左利きの人間は左文字(いわゆる鏡文字)を使うのが合理になる。だから、左人間は、左文字を使うのがよい。

 要は、書く行為は、身体の全身活動になるので、利き手が最高に活用できる方法が一番よいことになる。それが、左人間は左文字になる。

左文字、わたしの場合

 わたしはこの左文字(いわゆる鏡文字)をこの一年ほど練習しています。といっても時間がないので、とびとびに空いた時間をやっています。最初は、ひらがなから、そしてカタカナ、数字とやりました。それから、いわゆる学習漢字、常用漢字とやっていきました。

 いまでは、大体書けるようになりました。そこで、メモとか簡単な日記を左書きしています。使った感じは大変いいものがあります。違和感がなくなり、手と脳が一体になっているというか、透明になっているような気がします。前のイライラは忘れられています。

 とはいっても、これはかなり大変な作業のような気がします。文字を書けるだけでは十分でなく、言葉はたいてい二字でできていますから、連続した二字を書くときには、また新しく書かなければならないことになり、頭の使い方が違うような気がします。そこで、普通に文章を書くときは、コレはコレで新しい練習をしなければならないことになります。

 それから、書いた左文字を、後で読むのはなかなか大変です。読んで理解する、考える、感じる、という作業はかなり大変なことになると思います。楽に書けると思っても、次の日にはなかなか書けないこともあります。

 しかし、ダ・ヴィンチはコレを実際にやったのも事実です。ですから、不可能な話ではなく、しっかり練習すれば誰でも出来るのではないかと思っています。
 でも、ダヴィンチはイタリア語なので50字ぐらいと思いますが、我々日本人は、3000字ぐらいひっくり返さなければならないことになります。コレを本気でやるには、ダ・ヴィンチよりも相当困難なことをしなければならないわけです。

 そんなことで、本当に実用になるには、二、三年かかるのではないかと思います。実用レベルへ行けばいいなと思って続けています。

2009年10月12日月曜日

用語について

 このブログでは、新しいことを提案したいので、新しい言葉を使います。これから書き進めるのに必要な用語を、決めておきたいと思います。

①右(みぎ、以下同じ)人間  右利きの人

 左(ひだり、以下同じ)人間  左利きの人

②右文字  学校で習い、一般に使われる文字。ひらがな、カタカナ、漢字

 左文字  ダ・ヴィンチが書いた左右を反転させた文字、鏡文字、逆文字と言われたもの

③右手書き    右手で文字を書くこと。

 左手書き  左手で文字を書くこと。右文字を書く場合も、左文字を書く場合もある。

④右社会  現在ある一般社会

 左社会  左利きの人間に合うように作られている社会。現在は存在しない

⑤右システム  現状の右利きの人間に合う社会システム。左利きには不便なシステム

 左システム  左利きの人間に合う社会システム

⑥右書道  現行の書道

 左書道  左文字の書道


 用語で一番重要なキーワードは、「左文字」です。鏡文字、逆文字、裏文字、反転文字などの言い方があるようです。しかし、鏡文字は、鏡に映すと普通に読めるのでそう言うのだと思いますが、特殊な文字のイメージがあり、逆文字、裏文字、反転文字は、原則に対して例外的な文字だという、否定的なイメージが含まれます。どちらにしても特殊で例外的なものです。

 それに対して、左文字は、ニュートラルなイメージで特殊性がない。この用語を使うことで、対照的に現在の漢字を右文字と呼ぶことができる。こうして漢字使用の現状を相対的に見ることが出来るので、わたしはこの言葉を使います。左文字は、特殊でも例外でもなく、右文字と同様に対等の価値を持つと思うからです。

2009年10月11日日曜日

このブログの目標は

 左利きのレオナルド・ダ・ヴインチは、左文字を使って脳のフル活動させ、万能の天才になった。同じように左利きの人間は、左文字を使うことによって、天才といわずとも、自らの天分を拓くことに大いに役に立つと思われる。

 ところが、我々日本人が左文字を書く場合、大きな問題がある。それは我々の使っている文字は、漢字という表意文字で、語数がかなり多い。ダ・ヴィンチの場合、ローマ字の大文字、小文字で52字だけです。実際にやってみれば分かりますが、ちょっと練習すれば、左利きならだれでもこのくらいの左文字ならすぐに書けるようになる。ダ・ヴィンチが左文字をやすやすと書けるのは、まったく当たり前のことなのです。(だたし、字を書けることと語を書けることは違います)

 しかし、我々の場合、ひらがな、カタカナ、常用漢字、人名漢字だけでも約3000字ある。その他にも必要な漢字はある。いわゆる漢字検定などでも、第二水準の6000字ぐらいを対象にしているようだ。ここでは一応3000字を目標にするにしても、実際に書けるようになるにはある程度の練習が必要になる。

 この左文字を使えるようになるには、持続的な努力が必要になるので、しっかりした目的や意欲、学習の方法論といったものが求められてくる。

 そこで、このブログの目標は、左利きの人間が左文字(いわゆる鏡文字)を使う価値を明らかにし、その学習の仕方を工夫し、社会の中で左文字が普及するための条件を考えたい。そのために具体的には次のようなことを目標にします。

1 左利きであることはどんなことなのか、現代の脳の研究を訪ねて、左利きの特徴などを調べる。そして、左利きであることの特徴を理解し、左手で文字を書くことに確信を持てるようにする。

2 漢字の特徴や歴史、現在までの変化を明らかにして、その特徴を理解する。そして、左文字が成り立つ条件を検討する。

3 左利きの人間と、社会との関係について考える。

4 左文字の学習の仕方を考える。


  ところで、左利きの人間は社会の中にどのくらいいるだろうか。わたしがいくつか見た統計では、数字に幅があるが、大体1割といってよいらしい。これは、日本でも海外でも同じぐらいのようだ。そこで、ここでも左人間は人口の1割で、右人間は9割という数字を使っていきたい。

 すると日本では左人間は1200万人いることになる。決して少ない数字ではない。むしろかなり多数といえるだろう。東京都の人口と同じくらいになる。

 左人間が、生活していて不便なのは、文字だけでなく、生活全般にわたっている。それを日々何とかストレスを感じながらも、やり過ごしているのが現状だと思う。

 書字行為も、わたし自身は右手を使って書くが、書きながらいつも違和感を感じている。なにかいつも隔靴掻痒の気分が続いている。書いている内容に半透明のスクリーン一つ隔てられているようで、実感を持てない。それがいつも悩みだった。

 左利きで、左手で書く人は身障者のように腕をくねらせて窮屈な姿勢で書いている。わたしにはこの動作はほぼ虐待に見える。本人が本当に望んだものでなく、社会的に強いられているからだ。見ている周囲の右人間も何か不自然な窮屈な感じがするようだ。

 左人間が、左手で書こうが、右手で書こうが、右文字を書いている限りは、この違和感から解放されない。もっとも左人間はみんな、あまり気にしてないようだが。生活の必要に迫られ、進んで適応して、やむを得ないことなのだろう。 

 でも、あまり社会的な抑圧が強すぎて、左人間は自分の気持ちを外部に現せないのではないかとも思います。

 話は飛躍しますが、アメリカ大統領のオバマさんが、マスメディアの人々の前で始めて大統領令にサインするとき、例の左利きの人特有の腕をくねらせた窮屈な姿勢でペンを構えたときに、記者たちの視線を感じて、オバマさんは「私は左利きです。みなさん、慣れてください。」といっているのをテレビで見ました。

 私は残念に思いました。アメリカでも、右文字の呪縛は強いようです。


2009年10月10日土曜日

レオナルド・ダ・ヴィンチから考える


 イタリア・ルネッサンスの天才、レオナルド・ダ・ヴィンチが万能の才を発揮したことは、人々に広く知られていますが、生涯に一万枚以上の研究ノートを書き、そのほとんどを左手で、しかも左文字(いわゆる鏡文字)を書いたことはあまり記憶されていません。(右写真はノートの一枚です。二枚目の拡大図では、行の右側は揃っているのに、左側が不揃いです。ダヴィンチが左文字を書いているのがわかります。※注)

 左文字は一見暗号のようにも見えるので、なぜそんなことをしたのか、ということに、研究者の憶測がいくつかありますが、要はダ・ヴィンチが左利きだったからというのが妥当なところだと思います。


 そこで思うのですが、もしダ・ヴィンチが右手に矯正されていたら、あるいは、左手を使っても、普通に書かれる文字(私はこれを右文字といいます)を書いていたら、おそらくダ・ヴィンチはあれほどの天才を拓けなかったのではないでしょうか。なぜなら、実際にやってみれば分かりますが、左利きの人間は、左手を使っても、右手を使っても、右文字を書くのはかなりのストレスになります。どんなに慣れても、違和感は消えないからです。

 自然を探求したダ・ヴィンチが、こんな不自然なストレスと闘いながら、天才になれたでしょうか。人体の構造をあれほど深く研究したダ・ヴィンチが、わざわざ自然に反した腕の動きをしなければならない右文字を書くことは、考えにくいことです。 

 ダ・ヴィンチが天才になったのは、左文字を使ったからこそではないか。つまり、ダ・ヴィンチ自身にとって一番やりやすいやり方をして、脳をフル回転させたからだと思います。左利きにとって、左文字こそ、脳を一番よく使う方法なのです。

 ですから、左利きの人は、ダ・ヴィンチのように、反転した文字を書くのがよいのではないでしょうか。ダ・ヴィンチの天才と比較する必要はないのですが、左利きの人は、一人一人が自分に与えられた天分を最大限に拓くには、この左文字を使うのが正しいと思います。

※注 写真の出典は、高草茂『モナリザは聖母マリア』ランダムハウス講談社、2007年