2010年6月19日土曜日

なぜ大作家は右利きなのか、という問い

なぜ大作家は右利きなのか、という問いを、いままで問われたことはあるのだろうか。

考えてみれば、世界の大作家といわれる人々は、すべて右利きだったのではないだろうか。

たとえば、フランスのヴォルテール、ユゴー、バルザック、フロベール、モーパッサン、ゾラなど、ロシアのプーシキン、ゴーゴリ、ツルゲーネフ、トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、イギリスでは、シェークスピア、デフォー、スウィフト、ディッケンズ、ハーディ、ウルフ、ローレンスなど、イタリアでは、ダンテ、ペトラルカ、ボッカチオ、モラヴィア、タブッキ、エーコなど、アメリカでは、アラン・ポー、メルヴィル、ホイットマン、ジェイムス、ヘミングウェイ、スタインベックなどの世界的な作家と呼ばれる人は、すべて右利きだったのではないだろうか。

日本でも、たとえば夏目漱石、森鴎外、島崎藤村、芥川龍之介、太宰治、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫など、あるいは吉川英治、山本周五郎、松本清張なども、右利きだった。

ここにあげたのは、もちろんほんの一例で、ほかにも優れた作家はたくさんいるが、その中で、左利きだったと知られる作家はいたのか、寡聞にして聞いたことがない。

これは他の芸術分野、音楽や絵画や建築などと比較して際だった現象ではないだろうか。これらの分野では、左利きだと知られた偉大な芸術家は、何人もいるからだ。

なぜ大作家は右利きなのだろうか、という問いは、なぜ左利きに大作家はいないのか、という問いにつながっている。

左文字は、こういう世界にも、役立つのではないだろうか。