2011年5月14日土曜日

平井隆の「左手日記例言」を読んで①

平井隆の「左手日記例言」(1993年)という小さな本を読んだ。

 今からみると20年近く前に書かれた本だが、前から興味を感じていた。著者は詩人で本来は右利きだが、意識的に左手で書いた日記だとどこかで聞いていた。右利きの詩人が、あえて左手で字を書いたらどんな感想をもつのか、と関心をもっていた。

 著者は20代の半ばに右手に負った傷の後遺症から、右手でペンを持つことに不自由を感じ、左手で字を書く訓練を始める。その意味を自問する日記だ。

 利き手が多少とも不自由になるのはだれにとっても辛いことだ。利き手を使うことが、 仕事であったり、自分の生活の意味に結びついている人にはさらに辛い。著者は必要に迫られて、左手を使えるように励むが、そのつらい行為を、そしてあまり一般的でない経験を、どう肯定的に受け止められるかを探ろうとしている。

 著者が左手書きにそれほど違和感を感じていなかった理由が3点述べられている。

1 著者が編集者として担当したある老作家が、左手書きをしていたのを身近に見ていた。

2 左利きの友人の画家の卵から、鏡文字(左文字)を見せられた経験があった。

3 中学の頃、野球ではじめて左打席に入って打ったときの感覚が、開放的だった記憶がある。