2011年2月11日金曜日

第一日本語としての左文字(ひだりもじ)

わたしは今は、仕事のノートを左文字で書いている。すこし読みにくさは相変わらずだが。

そして現存の文字はすべて右文字(みぎもじ)なので、思考のときにいつもとまどう。わたしの気持ちは左文字で深く考えたいのですが、現存の文字がすべて右文字(つまり現存の本や新聞や雑誌)なので、なにかいつも気持ちが引けることがある。右文字で深く考えることにためらいが出てくるのはわたしの業のようなものだろう。やめることができない。障害者のような気分だろう。

そこで、最近考えたのだが、日本で生活するのに、右文字との付き合いを止めることができないので、これを第二日本語と位置づけることにしよう。第一日本語は、いうまでもなく左文字だ。

自分の文字はあくまで左文字だが、日本に生活上、やむを得ず第二言語としての右文字を使うということになる。つまり日本に生活することは、ひとつの外国に住むように位置づけてみようということだ。そしてやむを得ず外国語としての右文字を使うということだ。

こう考えると、自分の左文字を守ることができるし、右文字を使うときも平静でいられる。自分は今外国にいるのだから、ということで。

このアイデアはわたしの気持ちにあうようだ。これからもっと追求してみたい。