2011年1月29日土曜日

第二日本語としての右文字

 当然のことながら、現実の世界は右文字で満ちている。新聞、書籍も、街中も、どこも、すべてが右文字だ。

 左文字を使いたい場合、この現実にどう向き合ったらよいのだろう。すべての知識や情報は右文字でしか入ってこない。しかし左文字を使いたい。真剣に考えた場合、これは難問題だ。

 多勢に無勢だみたいな月並みな表現では、とうてい言い表せない。ほとんど、発狂を引き起こすかも知れない状態になっている。

 スペインのセルバンテスのドンキホーテを想い出す。おかしいと思いながら、もう引き返すことができない。前方に進むのみだ。振り返ると出発点はすでに見えなくなった。そのくらいは前に進んだ。しかしゴール地点はまったく見えない。

 こういう場合、どんな精神状態でいられるものか。まだはっきりしたものはわからない。いまはいらだちがあり、途惑いがある。すこしだけ耐えられる自信があるかもしれない。